2025年3月末、広島県東部の福山市にて護身術教室を実施した。
タイトルのとおり、対象は小学校の高学年とそのお母さん方を対象とした護身術の教室だ。講習会の企画立案は上記福山市の地元にお住まいの伊藤亜紀さん(仮名)という女性である。
彼女の今までの経験と最近の世情の変化から護身に対して興味を持たれたようだ。
お子さんは小学校高学年だが、ご両親の庇護のもと温かく平和な生活を送っておられる。毎日が小学校の楽しい生活の中、そもそも危険があるかもしれない事すら想像していない。それはそれで幸せなことだが果たしてこのままでよいのか、それが逆に心配の種だったらしい。
かつて日本は世界一、治安の良い国と言われていた。
しかし、現在の日本の現状はいかがだろうか?
1995年(平成7年)、今からちょうど30年前、私の老師・私学校龍珉楼館長・呉伯焔著作にて三一書房より『護身術 理論と実践』が新書版として発刊された。

「“安全神話”が崩れ去った今、
自分の“生命(いのち)”を守るのは自分しかいない。」
上記の裏書を当時は、キャッチコピーとはいえ過激だと感じた。しかし本書の内容は現代日本を予見したかのような的確なメッセージを私達に送ってくれている。
百年前の田舎の村では家に鍵をかけていなかった。
近隣同士が見守りや見張りを行い、夜間は村落の入り口を閉じることで地域全体で泥棒や外敵から共同体を守る意識が共有されていた。個人それぞれではなくコミュニティ全体で防犯していた。共同体の家族や年齢構成などお互いが全て解っていたのだ。
近年は過疎化と都市化が両極化し、同時に核家族化も加速化して共同体としての意識が薄らいでいった。
現在では都心のマンションでは隣の住人でさえ、素性どころか名前さえも知らない場合もある。学校の卒業アルバムにも個人情報やプライバシー権・犯罪防止の観点から、卒業生の住所や電話番号が載らないこともあると聞く。

強盗が複数で自宅に侵入してきたら、ほとんどの場合周囲の助けを期待できず、個人で対応せざるを負えない。警察を呼んでも間に合わない。警察は動いてくれるかもしれないが、事件発生後に被害届が受理されてからである。日常の安全確保を警察に頼り切るわけにはいかない。
ここで問題なのは、仮に自宅に侵入した犯罪者に対して、反撃は程度によって過剰防衛に問われてしまうことだ。追い返すだけでは逮捕に結び付かず、再び襲われる心配の中で生活せざるを得ない。
空き巣や強盗にしても犯罪者側が我が家を知っているが、被害者側は相手を特定できず、いつ行動を起こすかも知らないという圧倒的に不利な立場に置かれてしまう。

性被害・誘拐やストーカーにしても、犯罪者(加害者)側の視点や心理状態なども想像しながらお読みいただきたい。
通り魔であれば相手(ターゲットまたは対象)は不特定だが、通常はターゲットを探し、見張る所から始まる。
犯罪者側は事前に十分な準備を行い、あらかじめターゲットの行動パターンを観察し、計画した上で動き始めることがほとんどといえる。失敗した場合の逃亡や言い訳までも考えている事すらある。
犯罪者側が有利な状況は、いつどこで行動を起こすのかを被害者側が知らない。被害者からの視点では、誰がどのように、そして何の目的なのか事前に知ることは難しい。
被害者の対象をあらかじめ特定しない通り魔の場合でも女性やお子さんまたは高齢者など、体力的に圧倒的に不利な方が対象となる傾向にある。
毎年お子さんの「行方不明者」は増加する傾向にある。
警察庁が一昨年7月に発表した統計によると、2023年に9歳以下の「行方不明者」は1115人と、前年に比べて50人以上増えている。実に毎年千人以上の子供が消えている。
昔は「神隠し」などと言ったが、近年では行方不明になった子供を「ミッシング・チルドレン」といい、単に家出や失踪しただけでなく事件に巻き込まれてしまったケースも少なくないことは容易に想像できる。

以上のように、お子さんを取り巻くご家庭の環境や時代背景の変化を敏感に感じ取られたことで、福山在住の伊藤亜紀さんは護身術講習会を希望されたものと思う。
最初の申し出は、「太極拳の一撃必殺の技を習いたい」というものだった。
「習ってすぐに一撃で倒せるはずもないのに・・・」と当惑する私。
「女性が、健康法としてではなく相手を倒す手段をどうして太極拳に求めるのだろう?」
後から「ご自身のお子さんにも護身術を習わせたい!」という強い想いからの発想と理解できた。
子供さんでも練習を重ねれば、手を振りほどいて制圧する技術や身体の使い方は確かにある。しかし、現実的には小学生のお子さんが大人から手をつかまれた状態から逃れることは極めて難しい。
大人が武術を学ぶ場合でも練習と現実は天と地ほどの差がある。日頃の練習の何分の一も実力を発揮できない現実を突きつけられる。
日常(練習時)と極限状態(非常時)には大きな隔たりと壁があることを知っておかねばならない。練習と現実は次元が全く異なっている。
以上、マイナスの要因だけをお話しすると、いたずらに警戒感や恐怖心だけを煽ってしまいかねない。それだけだとお子さんの成長を考えると決して好ましいことではないし、講習会の本来の目的ではない。日常の生活を送る上で、護身のことだけを意識して生活しているわけでもない。
太極拳をはじめとして中国武術を修行する立場から見た護身のありかたは、一般的な護身の考え方とはことなっていると考えている。
私自身が工夫を加え、取り組んだ講習内容を次回紹介したい。
【コラム】
■ 八卦掌の成り立ち(続編)
八卦掌は、内家三拳(太極拳・形意拳・八卦掌)の一つとして位置づけられる。
しかし成立過程は同じ内家拳の太極拳や形意拳と比べて異質と言える。
前回のコラムで八卦掌における「帯芸投師」を紹介した。
もう一度「八卦掌の成り立ち」について深掘りしてみたい。

開祖の董海川の弟子達は、すでに別の門派(芸)を会得した(帯びた)修行者が老師の門下に身を投じる意味で「帯芸投師」と呼ばれていた。
董海川は彼ら弟子達にそれまでの技術を否定することなく、「八卦の理」を以って新たな境地に導いていった。
最初は口授(口頭によることばの説明)のみで説明し、弟子が道理を理解したら、董海川自ら道理を個別に動作を示し、決して套路を表演することはなかった。董海川の物真似を固く禁じたため、弟子の中で董海川の表演する套路を見分した者はほとんどいなかった。このような教授法が実際に行われたことを次のようなエピソードからも知ることができる。
八卦掌の開祖・董海川がまだ存命だったとき、修行者の一人・呉俊山が他の弟子たちの套路が各人それぞれバラバラだったのを見て「どの人の套路(型)が本当ですか?」と訪ねたところ董海川は「全て真実だ」と笑って答えたという。
また後日、張占魁(※1)に会う機会に恵まれたので「なぜ全員の套路が全部、それぞれ形が異なるのですか?」と質問したところ「表現方法が違うだけだ。なんだお前は八卦掌を学びながら、まだそんな簡単なことに気がつかないのか?」と逆にたしなめられたという。
こうして八卦掌を習った弟子達は、各自それぞれ別々の技術を次の世代の弟子達に伝承していった。今日において八卦掌の各系統の技術内容が大きく異なるのはそのためである。(※2)
掲載の八卦掌伝承図をご覧いただくと、開祖・董海川から実力と見識を兼ね備えた多くの弟子が輩出され、次世代へ伝承されたのか、その一端をご覧いただけると思う。
【注釈】
※1 張占魁(ちょう・せんかい) (1859~1938)
清末の道光帝から中華民国の時代にかけて天津を中心に活躍、形意拳と八卦掌で著名。
劉奇蘭を拝して形意拳を学ぶ。後に1881年、李存義の紹介により北京で程廷華との友好を結び、八卦掌開祖・董海川の門下となる(実伝は程廷華からともいわれる)
人々に「砕天覇」「閃電手」「雷電手」などの異名で呼ばれた。(尚済著作「形意拳技撃術」によれば、張占魁の得意技は「連環劈」であったとある
1911年には李存義の呼びかけにより天津中華武士会にも参加し、自身も天津に武館を設け数多くの門弟に教授する。
郭古民 「八卦拳術集成」薰海川の弟子に対する教授法を述べたもの
唯口を持って授け、弟子が道理を理解した後、自ら個別に動作を示し、決して表演することはなくまた薰および程の物真似は固く禁じられた。よって弟子一人たりとて薰の表演したものを一見したものは稀有である。
今日に伝わる董海川の教授法の一端が書物に記されている。(※)
主な武術家の日本語での読み方(音読み)
董海川(とう・かいせん)伊福(いん・ふく、又は伊福=い・ふく)、程廷華(てい・ていか)李存義(り・そんぎ)呉俊山(ご・しゅんざん)
孫禄堂(そん・ろくどう)程海亭(てい・かいてい)孫錫坤(そん・しゃっこん)
王俊臣(おう・しゅんしん)韓慕侠(かん・もきょう)姜容樵(きょう・ようしょう)
尚雲祥(しょう・うんしょう)閻徳華(えん・とくか)劉雲樵(りゅう・うんしょう)
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