多くの人が中国武術と聞いて思い浮かべるのは、カンフー映画、健康太極拳、嵩山少林寺の武術団などでしょうか。
現在の中国武術界は、大別すると二種類に分けられます。
一つは所謂「古義」、そしてもう一つは「新派」です。
例外や混交を無視して大雑把にいえば、おおむね以下のように定義されます。
文化大革命(1977に終了宣言)以降、中華人民共和国内において、整備され、練習されてきた、太極拳(健康法)、表演武術(長拳・南拳・伝統拳・太極拳など、日本では武術太極拳と呼ばれるもの)、映画演劇用の殺陣、競技散打(格闘技)、競技推手、またそれらをオリジナルとして各国に普及したもの、これらが「新派」です。(※1)
一方で、中華民国以前に民間伝承されてきたもの、中華民国の各國術館で教授されたもの、1997年の香港返還より前に香港の民間で教授、練習されてきたもの、またそれらの伝承者(武術家)や弟子たちが各国に滞在して、練習し、伝えてきたもの、これらを「古義」といいます。
日本で言えば、〇〇道などのように、〇〇協会などによって表演、競技、スポーツ化したものが「新派」にあたり、〇〇流などと流派名を冠して伝承しており、自分達は「武術流派」を伝承、練習していると認識しているものが「古義」なのかもしれません。(※2)
「新派」では、多くの人材が参加し、技術をオープンにして、研究、切磋琢磨することにより、必然的に質が高まる、という点が優れていますが、競技や試合は、ルール、規制、規定といった限定条件を付けないと、安全性や評価基準を担保できないため、「技術の画一化」がおこりやすくなります。
この、「技術の画一化」は「古義」とは親和性が低い特徴の一つです。
なぜなら「古義」は徹頭徹尾「実用」を目指して伝承、訓練されるものだからです。「実用第一主義」であるともいえます。
「実用」とは、「闘争の場で技術によって敵を制圧、もしくは保身を図り、生き残ること」です。
ですが、これを実現することは生半可なことではありません。
いざ、という緊急時は、いつ、どのような種類が、どのような状況で発生するのか、誰にもわかりません。
巻き込まれるのは、修行初日の帰り道かもしれません。
だから、修行当初から「今の自分であれば何か起こった時にどのように対処して切り抜けるのか」、を常に考えておく必要があります。
相手は武器を持っているか、人数は、自分は服を着ているか、どのような服装か、体調はどうだ、昼なのか夜なのか、天気はどうだ等々、有利不利に影響するさまざまな要素があります。
門派の技術や知識は、所詮他人の功績でしかなく、それを伝えてくれる老師は、自分の代わりに闘ってくれる訳ではありません。
様々な状況に対応できるようになるためには、門派の技術や知識を参考にしながら、「闘争時に生き残ることができる自分を創りあげる」つまり、「自分自身が強くなる」必要があるのです。
古義の武術家や修行者にとっては、「勝つ事」「生き残る事」が最重要であって、「どのようにして闘うか」は手段でしかありません。
とはいうものの、勝手気ままにやっていたのでは、できることは限られます。そのために利用されるのが、各門派が伝承してきた技術や知識なのです。
まずは、門派の技術や知識を知り、そして、武術的価値を自らがその体で最大限に引き出せるようになる努力をおこないます。
しかしながら、人は体格も違えば、得意不得意があり、性格も知能も反応も異なります。
ですから、自らの得意を徹底的に伸ばし、不得意を補って余りあるように自身を創っていきます。
競技(新派)では、できないことがある事は不利ですが、古義では、できないことがあっても他のことでカバーできればいいのです。「新派」が減点方式とすれば、「古義」は加点方式といえるでしょう。
「古義」の修行の道行きはまさに、習ったもの(門派の技術や知識)をベース(参考)としながら、「自分の武術を創りこんでいく作業」といっても言い過ぎではありません。
伝承者(嫡伝)を名乗り、武術を教える立場を目指すのでなければ、門派が伝承してきた技術や知識、一切合切全てに熟達する必要はありません。
ただ使えれば、事足りるのですから。
政変により中華民国から台湾、香港、マカオ、東南アジア等を経て日本に移住、来邦してきた複数の方々から、「古義の中国武術」の伝承を受けた呉伯焔老師とその弟子によって組織されている龍珉楼は、この「古義の本質」を失わないように配慮しながら、伝承、訓練している団体です。
中国武学への道 編纂担当
※1
このことは、中華人民共和国、国内に所謂「古義」が残ってないという意味ではありません。
※2
なぜ「なのかもしれません」と書いたのかといえば、流派の技術を固定化し、その保存が第一の目的になっている場合は、中国武術の「表演武術」の中にある「伝統拳」といわれる種目と同質に見えるからです。