今回のシリーズでは、中国武術における内なるエネルギー「内三合」、すなわち「心・意・気」の秘密についてお話ししている。今回から2回にわたって『気』について解説していきたい。第1回は日本古武術における『気』がテーマの中心だ。
『気』とは何か?まずは、言葉の上から『気』を紐解いてみよう。中国や日本において『気』は様々なとらえ方をされている。日本においては、病は『気』からというように、『気』と「心」は分かちがたい概念ととらえ、『気』と心の在り方を合わせて表現されている。皆さんも日本語の心や感情を表す『気』に関する言葉を想起してみていただきたい。「気になる」、「気が合う」、「気が散る」、「気の毒」等、十や二十はすぐに思い浮かべることができると思う。
ところが、中国では 『気』 はあまり「心」の働きを意味しない。日本語では、「気がつく」、「気が合う」、「気がせく」、「気づかい」のように精神活動に 『気』 を使うが、中国語では、それぞれ 「注意到」、「合得来」、「着急」、「不放心」と表現される。
日本では、「気は心」 などといい、『気』と「心」の境界はあいまいだ。だが、中国では 『気』 は物質ととらえ、原則的には心の働きを含まず、精神活動には「意」や「心」を使い、基本的に『気』 は用いない。
その他にもたとえば、日本なら「陽気」といえば、「性格」、もしくは 「気分」 的な意味合いが含まれている。一方、中国では「陽気」は性格のことではなく、哲学的な概念における陰陽の「陽」の『気』のことを指す。なお、もしあなたが広島人なら、スープの王道・醤油とんこつ・広島ラーメンの老舗「陽気」を思い浮かべるかもしれない(笑)。
中国武術における気を見る前に日本古武術では気をどのように捉えているのだろうか?日本古武術『天狗芸術論』において、「物の修練に依って上手をなすと雖も、その精妙をなすは皆(みな)気なり」というものがある。さまざまな武術書において『気』について言及されているが、ここでは柳生宗矩(※1)の『兵法家伝書』に注目してみよう。
柳生宗矩(以後、宗矩)は、『気』に対して三つの角度からとらえている。第一は、血気である。気を血と結びつけ、血気を妄心と見て戒めている。血気とは、気血ともいう。気と血は、それぞれ単体の気と血が結びついたのではない。血より湧き上がり、立ち昇るエネルギーを感じ取り血気と表現したのである。
「妄心といつぱ、血気也、私也.血気也とはいかんとならば、血のわざなり.血がうごきて上へあがり、顔の色変じ怒りを出す.又わが愛する所を人にくめば、怒り恨み、或は又わがにくむ所を人同じ心ににくめば、悦びをなし、非をまげて理となす」
「迷妄」の心は血気の仕業であるという。武術の世界に限らず血気に走り、激(げき)しやすい心をもっていると、頭に血がのぼり、顔色にでてしまう。吾を忘れて相手を正しく見ることができない。自分の好みや意見(愛している所)を相手が責めたり憎んだりすると、その人のことを怒ったり、恨んでみたりする。自分が憎んでいることを同じように他人が憎めば、今度は悦んでみたりする。このように、たとえ間違っている事だとしても感情次第で判断をねじまげて正しいとしてしまう。そのため、それを「妄心」「邪心」と呼び、厳しく戒めた。
では、血気にはやる自分を抑えるとはどういうことか。気について第二の見方である。
血気は抑制しなければならないが、それは「心」で行う。そこで『気』と心(志)の関係について、宗矩は『兵法家伝書』上巻殺人刀の中でこう説いている。
「内にかまへて、おもいつめたる心を志と云う也。内に志有りて、外には(発)するを気と云う也。志は主人也。気はめしつかう者也。志内にありて気をつかふ也。気がはつし過ぎてしれば、つまづく也。気を志に引き止めさせて、はやまり過ぎぬ様にすべき也。」
志は、心が内に凝集して一定の方向に向かっている状態、『気』はそれが肉体の行動となって現れる発動力である。志は主人で、気は召し使うもの、つまり召使である。志が内側にあって『気』をコントロールしているが、外側に『気』が発現しすぎると、心身がアンバランスになって心を動揺させることになる。志による『気』の過度な発動の抑制が説かれている。『気』を外に発ししすぎて走るとつまづき、「妄心」があると勝負には負け、弓矢は当たらず、鉄砲ははずれ、馬にすら乗れないと。志について『陳氏太極拳図説』(※2)において、陳鑫が『孟子』公孫丑から引用した部分と共通していることが興味深い。
第三に『気』を「機」(※3)ととらえて、勝負の際の重要な要因ととらえている。宗矩は家伝書において「機」は、「内にかくしてあらはさぬ気」「胸にひかへたもちたる気」(いずれも「殺人刀 上」)であり、「常々こころにかくる、是皆機也(「活人剣 下」大機大用)。
内側に隠して外に現わさないのが「機」であり、外に現れたのが「気」である。武術的に解釈すると、まさに発せんとする『気』の一瞬をとらえて「機」と呼ぶ。敵と相対し、敵が挑みかかろうとする、その瞬間の機先を制し、その気勢を挫いてしまうことが必勝の極意とされた。要するに戦いでは相手の気を読み取ることが肝要で、自分のはやる血気を抑え、敵のタイミングを事前に制することを機前といい、剣術の奥義というわけである。この部分は、宗矩が易経から引用したことはあきらかである。
「幾者、動之微、吉之先見者也。君子見幾而作、不俟終日。」『易経』より『周易繫辞下伝』※幾は動の微にして、吉の先ず見(あらわ)るる者なり。君子は幾を見て作(た)ち、日を終(お)うるを俟(ま)たず。
ちらりと現れる事物の機微というものは、変動が生ずるごくかすかな前触れであるが、そこにはすでに吉凶の端緒が示されているのである。君子は、それをすばやく察知し、ただちに行動を起こして、それなりの対応をするのである。
最後に、発しすぎた血気を抑える方法として呼吸を整える方法を紹介したい。呼吸法は奥深く、生命活動と直結して内面と身体双方に関わっている。まずは、吐く息に意識を集中してみよう。6秒から8秒、1・2・3・4・5・6とゆっくりと数えながら息を吐き出す。鼻呼吸にこだわらず、口をすぼめたりしてもよい。息を吸うときは、鼻から自然に。急にではなく、ゆっくりとだけ意識しよう。まずは一回につき、5~10回くらいの呼吸で良い。時間も1~2分くらいだ。怒りがこみあげて来たり、イラっとしたり気持ちが落ち着かないときに試してほしい。これから約一ヶ月、できれば毎日実修してみていただきたい。次回引き続いて、中国武術における基本の呼吸練習法を紹介したい。
●参考文献
柳生新陰流の総合的研究 加藤純一
気-論語からニューサイエンスまで 丸山敏秋 東京美術
【注釈】
※1 近世剣術流派の三源流と称される陰流、念流、新当流を修学し、特に愛洲移香の陰流の影響を多大に受け、天文年間に「新の陰流」として新陰流を創始したのが上泉秀綱。この上泉の門弟の一人が柳生宗厳である。宗厳(石舟斎)は、永禄八年(1565)に「一国一人」の印可を受けて独立、翌永禄九年に『影目録』四巻を授けられている。
柳生宗厳が徳川家康に謁見し「無刀取り」を披露した時の相手役を務めたのが五男柳生宗矩(むねのり)。宗矩(1571~1646)は、徳川幕府の兵法師範から総目付(行政官僚)への就任という転機に柳生新陰流の兵法の集大成として寛永九年(1632)に『兵法家伝書』を著わした。徳川家康、秀忠、家光と三代に渡って側に仕え、戦国の乱世から江戸へと時代の転換期に際して精神修養を一体と為す「剣禅一如」「治国平天下の剣」を掲げた。国を治め天下の平和を保つための兵法・剣術へと柳生新陰流を昇華させた結晶が兵法書『兵法家伝書』である。
「進履橋」「殺人刀」「活人剣」(しんりきょう・せつにんとう・かつにんけん)の三部構成になっており、「進履橋」のみ、流儀を極めた者に対し、相伝の印として授ける目録となっているが、基本的には「家を出でざるの書也」とされ、柳生家の秘書とされている。宗矩の長男が時代劇で有名な柳生十兵衛三厳(みつよし)。沢庵禅師が柳生宗矩に与えた書簡を集めた「不動智神妙録」があり、多くの影響を受けた柳生宗矩であるが、気の解釈の部分については経験に基づく宗矩独自の解釈が見られる。
※2 陳氏太極拳図説について Vol.11 内三合 内なるエネルギーの秘密(その二)参照。宗矩の兵法家伝書と図説では、主人=将軍、召使=兵士と相関している。上記の『孟子』公孫丑上二章における「志壱(もっぱ)らなれば…(以下略)」と同じものである。抜粋してみると①志は気の帥なり ②其の志を持し、その気を爆すること無かれ。③今夫れ趨(はし)りて蹶(つまず)くものは、是(こ)れ気なり。
※3 中国では古来より機と幾の語は、同義として混同して用いられていた。
①「機」の字の成り立ちは、木+幾(ごくわずか)。もとは織機の間に挟まって仕掛けを動かす小さな木の棒のことをいう。「機」は、仕掛けの鍵、時、秘密、大切なものごと、精巧な仕組みの大事な「つぼ」とか「勘どころ」のことをいう。例えば、機密・枢機など。
②「幾」の字の成り立ちは、「絲(細い糸、わずか)+戈(ほこ)+人」。人の首に、戈の刃がもう少しで届きそうな様子を表し、もう少し、近い、時、機微などの意味である。
※初出 2021年10月6日 「HIROSHIMA PERSON」にて公開
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