中国武学への道

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Vol.45 外三合 三節 番外編(その7)

老子は「一から二そして三」が生まれ、「三」から万物が生じるといい、八卦では初爻二爻三爻と三層に積み重ねられた「八」から大宇宙の万物が展開される。前回、細胞分裂を例に「1」が2→4→8と分裂する図を紹介した。細胞はさらに分裂を続け、人間では約60兆個(約37兆個とも)に細胞分裂し各臓器や骨、筋肉などに変化し、一個体としての生物に成長する。
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Vol.44 外三合 三節 番外編(その6)

道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず「老子(第四十二章)」 一はなぜ二を生じるのか?二はなぜ四ではなく三を生じるのか?三は万物を生じるとは何を意味するのか? 太古の人々にとって三は「多い」「たくさん」あるいは完全と同義語であった。大多数の未開の民族において数を数えるとき「一」・「二」稀に「三」までしか数名詞を所有しない。数を数える上でも「一つ」「二つ」「三つ(たくさん)」の概念は「数の概念」と同じように「三」よりも大きな数を認識する上で頭脳の飛躍的発達が必要となる。未開社会の人々は四以上の数はほとんど用いず、四・五・六・・・などの抽象概念が発達するには多くの時間を要した。
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Vol.43 外三合 三節 番外編(その5)

これまで本ブログVol.39から始まる『三節の番外編』を通して「三」について考察し、さらに八卦に潜む「三才」を「構造と変化(勢)」から紹介している。中国武術(中国武学)でいうならば構造とは身体の姿勢で、変化(勢)は身体の動きの変化であり、「定式と過渡式」の面からも観ることができる。
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Vol.42 外三合 三節 番外編(その4)

前回は、八卦を理解するために「構造」の面から観察してみた。今回は、「変化する勢」の面から観て理解を深めていきたい。文章の内容が煩雑と感じられる方は前回に引き続き、図をよく観察いただくとよい。また、前回の「八卦生成図と古八卦図」も併せて観るとよいだろう。陽爻と陰爻は一陽一陰(または、一陰一陽)とも表現されるが、対立し分断しているだけでなくお互いが影響しあう関係でもある。
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Vol.41 外三合 三節 番外編(その3)

■ 八卦生成図と古八卦図 今回のテーマは、八卦に潜む「三」がテーマだ。 このテーマを解説するにあたり、今回は八卦の構造を解説し、次回は変化の様子(勢)から解説をしてみたい。 複数回に分けて解説する意図の第一番目は、読者の皆さんが八卦についてご存じの方ばかりではないと思うので、ゆっくりと解説を進めたいからである。今回の内容は、図1から3を解説した文章となっている。文章が煩雑と感じる方は図をしっかり観察してイメージを膨らませていただきたい。
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Vol.40 外三合 三節 番外編(その2)

1) 三才 天地人 (天→地→人) 時間系列 大宇宙に対して小宇宙としての存在が人間であるというのが「天人合一思想」である。混沌とした宇宙から天が生まれ次に地ができた。天(陽)と地(陰)が和合し人(半陰半陽)が生まれた。天→地→人の時間系列の順番で「天地人」の三才としている。大自然の中で人間は弱い存在で、災害や天候の影響を受けてきたため自然に対する畏敬の念が強かった。西洋では人という存在が自然と対立して自らの力で「生きている」という考え方が基本であったが、中国では大自然の懐のなかで「生かされている」という考えに至った。ちなみに日本では四季折々の自然の恵みが豊かで、人が自然の中で育まれているという考えを持っていいたため中国の考え方を自然な感覚で受け止めた。
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Vol.39 外三合 三節 番外編(その1)

中国では「三」に限らず符牒として数字にさまざまな意味を与えてきた。 三才以外にも五行・八卦など数字を通した物事のとらえ方や世界観は、中国医学・芸術・文学・占星術だけでなく生活のすみずみまで影響を見ることができる。中国武術も例外ではない。 符牒 0:無極 1:一気 2:両義 3:三才 4:四象 5:五行 6:六合 7:七星 8:八卦 9:九星 10:十韋 ここでは、0(無極)から一(一氣)、二(両儀)、三(三才)という0~3まで、特に「三」に焦点をあててみよう。
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Vol.38 外三合 エネルギーの統一 閑話

中国武術の歴史は長く、民族も多様な中で独特な発展を遂げた。技術的にも私達日本人とは異なる文化の中で育まれた興味深いものが多く、高度な体系を持っている。武術における技法の原理を学ぶことは興味深く楽しく感じられることも多い。原理を解き明かすことや究極の技術を楽しむことは、修行者の特権ともいえる。しかし、武術を志す者の最も大切にすべきことは実践することで、現実に即した対応であることを忘れてはならない。興味を引く技術や楽しみに安住して、実践するための具体的技術から現実逃避しないよう心がけることが大切である。
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Vol.37 外三合 エネルギーの統一 三尖相照(後編)

「三尖を相照らす」とは、三つの尖端を揃えることにより力の集中をもたらすことである。この三尖相照の効用を陽(攻撃面)と陰(防御面)の陰陽思想からみることができる。 三尖相照は、攻撃の極まる到達点である。全身のエネルギーの統一する瞬間のポイントを指す。逆に分散して腕の力だけで打つ事を俗に「手打ち」という。 太陽光のエネルギーを虫眼鏡を使い角度と方向そして距離を合わせることによって一点に集中することができる。平行な太陽の光を凸レンズで集めると、焦点に置いた紙が黒く焦げ始めついには発火する。同様の原理で火災が発生することを収斂火災(しゅうれんかさい)と呼ぶ。
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Vol.36 外三合 エネルギーの統一 三尖相照(前編)

末節は、一般的に「枝葉末節」として、些細な重要ではないこととして用いられる。末節にとらわれることを本末転倒などといい、根本や本質を見極めて邁進することが最も大切である。しかし私は前回、根節と末節の両面からアプローチすることが大切であるとお話しした。今回は根本となる根節の部分はひとまず横に置き、末節の重要性から先にテーマにしてみたい。 三幹九節=三節(根節・中節・末節)の中で末節を整える要領を三尖相照と中国武術では伝えている。いくら根本の身体操作がしっかりしていても、相手に到達する前に尖端の角度がわずかにズレてしまうだけで結果が異なる例として刀剣や弓矢を挙げてみたい。
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