Vol. 29 外三合 弓矢と勁 番外編(中編)

合戦における技芸を武芸といい、総称して武芸十八般という。武人が修得すべきとされた18種類の武技を指し、江戸時代に中国から伝わってきた言葉である。中国では、十八般武芸あるいは18種類の兵器を十八般兵器という。十八般武芸(※1)または十八般兵器は多種多様であり、時代や流派によって変化し、その数は18種類を超えているものもある。現代において中国武術の十八般兵器は、次のように制定されている。

『刀、槍、剣、戟、斧、鉞、鉤、叉、鞭、鐧、錘、抓、鏜、棍、槊、棒、拐、流星』

明朝に書かれた『水滸伝』には『矛錘弓弩銃、鞭鐧剣鏈撾。斧鉞并戈戟、牌棒与槍叉』とある。別説では九長九短といい、9つの長兵器・9つの短兵器のことを指す。

九長は『槍、戟、棍、鉞、叉、鎲、鈎、槊、環』。

九短は『刀、剣、拐、斧、鞭、鐧、錘、棒、杵』。

長短の区別は、大人の背丈より長いものを長兵器で、槍などの長い柄をつけたものを指し、それ以下のものを短兵器という。また、成年男子の眉の高さが長短の境界であるとする説や長兵は長柄を扱うために双手で、短兵は片手で扱うなど長短の区別には諸説がある。現代の十八般武芸に弓術が含まれていないが、古来より弓術が武芸の筆頭である時代が長く続いたことは、日中ともに文献を見ても明らかである。まずは文献から確認し、続いて弓術が武芸の筆頭の座を譲った時代背景を見ていきたい。

十八般武芸が最初に具体的に登場するのは南宋(1127年~1279年)の1208年に華岳が編纂した兵法書『翠微北征録』巻7 からである。この他にも明(1368年~1644年)、福建省の謝肇淛が編纂した『五雑組』巻5や朱国禎の『湧幢小品(涌幢小品)』卷12があり、どの書物をみても中国の十八般武芸(十八般兵器)の筆頭は「一、弓」で、次に「二、弩(ど・いしゆみ)」が続く。

日本にも目を向けてみたい。江戸時代の医者で儒学者でもある貝原益軒(1630~1714)は、長崎に来日したシーボルトに「日本のアリストテレス」と評されている。益軒の教訓書が明治になり十種が集成され、特に有名なのが「養生訓」である。同じく「益軒十訓」の中の「武訓」の一節にこうある。

※以下意訳
「武士たる者は、弓馬、刀剣、槍、長刀(薙刀)、鳥銃、拳法といった武芸は正式に習わなければ合戦において役立たない。特に弓馬は、習うことなしに役に立つことはない」。さらに、「軍器には三十六種があるが、弓は上首(じょうしゅ=筆頭に挙げられるべきもの)である。武藝には十八般があるが、弓がその第一である。これは、兵録にあるが中華の書である」。原文の「軍器に三十六あり…」というくだりは、兵法書『翠微北征録』とそっくりなので、「兵録にある中華の書」は、『翠微北征録』を指していると類推できる。

【弓箭式】弓式(きゅうせんしき・きゅうしき)
弓矢(弓箭)にちなんで立ち方(架式)の弓箭式(弓箭歩)を紹介したい。別名・弓式(弓歩)というが、なぜ弓箭式と名付けたのだろうか。この立ち方(架式)では足にも腿弓(Vol.27 外三合 弓矢と勁・後編での、「一身備五弓=全身に五弓を備える」の内の一つ)を備えている。一方の足は弓で、もう片方が矢(箭)であることを表象している。前後のいずれが弓と箭の役割を受け持っているかは、意見の分かれる所である。一つには、後腿如弓、前腿如箭(後腿は弓のようで、前腿は箭(矢)のようである)であるという。

後腿は、弓のようにしなって力を蓄え、前腿は、矢(箭)が放たれるように進む。

胴体と拳の関係を身如弓、拳如箭(身体は弓のようで、拳は矢のようである)の口訣があるのと似ている。写真の下の図は、赤い点が重心で前後の足の黄色い点が一直線上にある。右手の手尖(尖端)と鼻尖(鼻先)と右足の足尖(足先)が一直線上に揃うことを三尖相照という。矢印の尖端方向が攻撃の方向と同一である。

初歩段階で大切なことの一つとして両膝に注目したい。写真・右膝の直角三角形の図で示すように膝の中心と踵の中心を結ぶ縦線は、底辺の地面より垂直である。三角形の底辺は、踵と足先を指している。功夫ズボンの裾がゆったりしているのでわかりにくいかもしれないが、今まで紹介した写真の弓箭式では、全てそうなっている。また、爪先よりも膝頭が出ないようにとする説明もあるが、これでも膝が出すぎで私の習ったものはあくまで膝と踵が垂直である。

次に後ろ足は、定式ではしっかり伸びているが、それでも完全に伸び切るわけではない。わずかに緩んでいることが大切である。伸び切った状態だと次の動作に移行する時、ワンテンポ遅れてしまう。気をつけの姿勢で両膝が真直ぐ伸びてしまうと後ろから膝裏をポンと押すとカクッと重心が崩れてしまう。子供のいたずらで「膝カックン」というとわかりやすいだろうか。

【写真解説】
①方天戟 十八般兵器の内「戟」(げき)。孫錫堃派八卦掌に伝わる長兵器。槍に三日月状の月牙を片方につけたもの。一般に書物には片方に月牙をつけたものを青龍戟で槍の穂先の両側につけたものを方天戟としているものも見受けられる。

日本において「戟」は、剣戟と用いられることが多い。つるぎとほこの意味で「剣戟を振るう」や「剣戟の響」(「島原の乱」「碧蹄館の戦」 著者:菊池寛、「バルタザアル」著者:Anatole France 訳:芥川龍之介)のように用いられる。また、剣戟映画のジャンルがあるが、現代では時代劇のほうが一般的かもしれない。

②虎頭双鈎 十八般兵器の内「鉤」(こう)。張玉衡派八極拳に伝わる短兵器。鉤(かぎ)状の部分を鈎といい、鈎と鉤は、異体字で同じ漢字。一般に二本一組にて両手で用いるため双鈎というが、単一で用いる場合もある。歩兵あるいは騎馬上の敵を鈎の部分で引っ掛けたり、武器を拘束する。虎頭双鈎は、手元に剣があり、持ち手の所に方天戟と同じような三日月状の月牙をつけている。ワンサイズ小さいものを護手鈎ということもある。

今回写真で紹介していないが、鞄の中に入れて持ち運びも可能な兵器として日月孤形剣がある。日月孤形剣は、三日月状の月牙を互い違いに二つ重ねた形状である。また、同類の兵器にワンサイズ大きく、月牙が一つ欠けた子午鴛鴦鉞がある。子午鴛鴦鉞は、子母鴛鴦鉞ともいい、十八般兵器の内「鉞」(えつ)に属する。形は似ていても日月孤形剣の「剣」と子母鴛鴦鉞の「鉞」は、術理と使用法が異なっている。私見であるが、三日月状の月牙は、漢族よりも回族の兵器に多く見られ、月牙の付属する兵器を見ると回族の影響を想像してしまう。

③前出、弓箭式の写真は、陳氏太極拳の野馬分鬃。

【注釈】

※1 江戸幕府の御家人・伊賀衆の家に生まれた兵学者・武術家の平山行蔵(1759‒1828)が1806年(文化3)に「武芸十八般略説」を著した。平山はこれまでの分類とは関係なく、日本特有の武術のうち戦場でも平時でも役立つものを選んだとして、次のものを紹介している。

1弓=木弓、2馬=騎射(騎上組打を含む)、3槍=飛鎚付(ひっつい=錘(おもり))、4鎖鎌=(分銅鎖、虎乱杖)、5眉尖刀(びせんとう)=(小薙刀)、6大刀=野太刀(のだち)、長巻、7抽刀=居合術、8銃=鉄砲、9弩(ど)=大弓、10李満弓(りまんきゅう)=鯨半弓(くじらはんきゅう)、駕籠弓(かごゆみ)、11刀=剣術、12青竜刀=大長刀(おおなぎなた)、13戟(ほこ)=十文字槍、14鉋(ほう)=佐分利槍、15鏢鎗(ひょうそう)=投槍、16棍(こん)=棒術、17鉄鞭(てつべん)=鉄扇又は十手、18拳(やわら)=柔術。

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