「中国武術への道」から「中国武学への道」へ

「中国武術への道」と題したシリーズは、以前、魅力的な広島人を紹介するというコンセプトの地域媒体、「HIROSHIMA PERSON」にて、2020年9月~2023年3月まで寄稿したシリーズだ。

媒体が始まった当初と比べ、執筆者の数も増え、紙面としては充実し、当初とは編集方針も変化してきたため、当方が寄稿してきたコンテンツは媒体を離れ、独自に発表していくこととなった。

そのため、次回の原稿より改めて「中国武学への道」として皆さんにお届けすることにした。

「中国武術」から「中国武学」へ。術から学と何故、一字違いの名称変更を行ったのかを順を追ってお話ししたい。

「中国武術への道」寄稿の経緯

HIROSHIMA PERSONは、2020年9月に広島の魅力を発信するという主旨でつくられたWEBサイトである。地元広島の応援と魅力あるおもしろい人を紹介するという主旨で、たまたま担当者と知り合いということで原稿寄稿のお声掛けをいただいた。主旨に賛同しながらも、私が適任な人材の一人なのかと多少戸惑いもあった。平和都市ヒロシマの応援に武術を題材とした内容はそぐわないのではないかとも考えたからだ。

私は、太極拳をはじめとするさまざまな中国武術の伝承を授かった。一般に知られている健康法のイメージとはかけ離れた実用的な武術であり、伝統的な技術を追求している。武術の専門家の方々ならばいざ知らず、HIROSHIMA PERSONを訪れる方々には、まるで異質な別世界と映るのではないかという心配もあった。

しかし、武術を通してそこから広がる世界は、日本を含む東洋文化の根源にも通じると思われる非常に興味深い知見や情報の塊だった。西洋文化が身近となり、日本人としてあるいは東洋人として忘れてしまった身体の使い方は、最近徐々に見直されつつある。また、西洋人のように心と体を分離して考えるのではなく、心身一如で相互に補完する関係は、深い洞察による経験から導きだされたものだ。西洋人の方が、新鮮な発見として東洋の文化を見直しする風潮さえ見られる。

習っていた最中は、ひたすら老師の教えを理解し体得しようとすることに精一杯で表面的な字面(じづら)しか理解できていない部分も多くあった。また、説かれた内容は断片的なものも多く、ノートにメモのみ記したものの、体系化されていないものや、そもそも、理解が追いついていなかった部分も多くあった。

いろいろな葛藤はあったものの、私の体験や知識が少しでも読者の方々の参考になるのであれば、それは僅かながらでも私を育ててくれた広島という土地や、社会への貢献といえるのでないかと思い、寄稿させていただく事とした。

「中国武術への道」の原稿は、実践者や武術に興味のある方々ではなく、一般の方々を読み手として専門知識の羅列はなるべく避けたつもりだ。興味を持って読んでいただくために一回ごとにお伝えしたいテーマを明確にしたいと考えたし、老師より説かれた言葉の受け売りではなく、私が会得した内容を、私の言葉として皆さんにお届けするように努めてきた。

意図通り、読みやすい文章になっていると評価いただけていたなら幸いだ。

中国武術への道」から「中国武学への道」の名称変更

中国武術を別称として「國術」(こくじゅつ・グオシュー)(※)という。現在の中華人民共和国では、「武術」(ぶじゅつ・ウーシュー)で統一されている。日本であれば「国技」は「相撲」の事を指すが、単に「國術」と表したのでは一般の方にはわかりにくいし、「武術」と表示したのでは、日本の武術と区別がつかない。そこで敢えて「中国」の名を冠している。

ではなぜ「武術」を「武学」に変更するのか。

先にお断りしておくと、「術」と「学」を比較して優劣をつける等といった意図はまったくない。

まず第一に、武学は、孫錫堃派八卦掌の先師・孫錫堃が設立した天津道徳武学社の名称を由来としている。「天津」は地名だが、「道徳」は、孫錫堃が趙避塵に師事して修行した道教に由来している。そして武術を学ぶ場としての「武学社」である。

第二に武学の「学」は、私の伝承している張占魁派形意拳の先師・張占魁が、王陽明の活学を重視したことに由来している。王陽明は、知識偏重を戒め徹底した「知行合一」に基づく「活学」を重視した。私も老師から武術の理論を学ぶ時は、必ず実技を通すことによって初めて体得できることを叩きこまれた。

このように複数の意味を含めて「中国武学」という言葉を使うことに決めたのである。

ともあれ、もっと現実的な理由としては、従来の「中国武術への道」というタイトルはあくまでも「HIROSHIMA PERSON」でのコンテンツとしての名称であった。そのため、これから新たに公開していく文章については、後継であることを明示しつつも、別の名称で公開していく事が必要だと考えていた。

そのための、名称を変更である。

もちろん、「中国武学への道」も、発表方法や媒体が変わろうとも、専門家を対象に術理を紹介する場ではなく、あくまでも一般の方々を対象に武の世界から私が学んだ内容を紹介するというコンセプトで執筆していくつもりである。

2023年5月 桂峰生

※國術・国術
これは中国武術の別称である。いや正しくは“総称”と呼んだ方が適しているかもしれない。
このことばは、1928年(民国17年)、中国における最初の国立武術専門学校である中央国術館が設立された際、南京における国府会議の席上にて“設立主旨”とともに正式に改称・可決されたものである。その趣旨とは、従来各地に伝承のある伝統武術を統一し、広く国民に奨励する一方で保存発展および市井の武術家の発掘に努めることにより、いわば“国術”という呼称は上述の主旨を包括した内容を意図したものなのである。したがって狭義の解釈上による一門派のみを示した場合の中国武術用語ではけっしてない。

国術技撃操典 呉伯焔著 ベースボールマガジン社 自序より

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