昨年2月に内三合のシリーズに続いて外三合が始まった。しかし外三合をテーマとしながら一年余りも本来のテーマではなく、「勁」についてお話しして来たのはなぜか?外三合をテーマとするには、「勁」について触れないと外三合の本質にせまることが出来ないと考えたからである。「勁」は、中国武術の核心である。外三合だけでなく内三合とあわせた六合も「勁」の運用を目的としている。
今回は外三合に入る前のしめくくりとして、「勁」を運用するときに欠かせない要素をテーマにしたい。この要素とは形と勢である。形とは勢というエネルギーを保持しコントロールする器である。形については外三合の本題の中で見ることとして、ここでは勢という切り口で探求したい。
太極拳に限らず中国武術には多くの型が伝えられており、型のことを套路(とうろ)と呼んでいる。套路は門派を理解する上で大切な技法が集まったもので、一つ一つの技法が「勢」(せい)で構成されている。
套路は、バラバラな技法が脈絡なく集まったものではない。套路全体が大きな「勢」なのだ。「勢」は流れに連続性があり、途切れる事がない。勢が途切れてしまうことを「断勁」(※1)といっている。太極拳と命名される以前の古い呼び方を十三勢(※2)と称していたことは、「勢」の本質をよく表している。十三とは技法の数の事ではない。まずは套路全体が「勢」であることを理解し、その後で個別の技法も「勢」であることをみてみたい。
套路は、起勢(起式)に始まり収勢(収式)に終わる。太極の陰陽理論から見ると、混沌とした無極から陰陽に分かれ、大宇宙の様々な事象へと展開する。この事象の一つ一つが套路を構成する技法である。技法と技法が連続してつながり、套路を構成する。
大宇宙(※3)とは、星や地球を含めた大自然全体の様々な現象をいう。水や風の流れ、雨や雷に至るまでさまざまな自然現象だったり、さらには、動物の動きも含まれる。
「勢」にはさまざまな要素があるが、途切れることのない連続した流れとして、ここでは水の流れ、もう少し具体的に河川を例にとってみよう。
山に降り注いだ雨が地中から湧き出し水源(套路・型では起勢)となる。最初は、「ちょろちょろ」「さらさら」と流れていた渓流やおだやかな小川のせせらぎは、流れが次第に支流と合流する。それが川となり、蛇行しながら浅瀬や淵(ふち)、よどみを形作る。淵では渦巻も生じるだろう。急激な轟轟(ごうごう)とした流れや、ある時は突発的な土石流も発生する。次第に川幅も大きくなり、滔滔(とうとう)と大河となって河口(収勢)へ到達し海へと流れる。海から蒸発した水は、雲となり雨となって再び川となる。こうした循環が大自然を形成する。
時間の変化とともに流れの中で様々に変化していく様子をイメージできるだろうか?
川の水の流れがイメージできたら次は海の波や渦潮さらには津波をイメージしたり、水以外にも風にテーマを変えて突風や竜巻などとイメージを広げてみるとよい。
これらの大宇宙・自然現象の事象をエネルギーつまり「勢」と表現しているのだ。
套路とは技法の集まりであるが、対人の使い方を並べただけでなく、エネルギーとしての「勢」が連続した集まりといえる。
「勢」が、型を構成する技法の中心でこれを過渡勢あるいは過渡式と表現する。
太極拳套路の技法数は、六十四勢・七十三勢・一百零八(108)勢などと伝承によってさまざまである。一つの套路の中には、いくつかの技法群がグループとなり繰り返されることもあり、64・73・108という数の技法が全て異なっているわけではない。
一つ一つの技法は、過渡式(過渡勢)と定式に分類できる。
図をご覧いただきたい。技法は下から上へ進み、過渡式は前の技法の定式から始まり、技法が極まった瞬間を定式という。過渡式には陰陽があり、過渡式A:前半【陰】と過渡式B:後半【陽】、攻防上では防御と攻撃に分類することができる。一つの技法の中で剛柔・快慢・鬆発・緩急・蓄発の陰陽を指している。陰陽の分類はあくまでも基本的原理や概念なので過渡式Aで柔や慢が過渡式Bで剛や快に変化するわけではない
定式とは、技法の極まった瞬間であり、同時に次の技法の始まりである。定式は連続する技法と技法の接点であり、断面図といえる。技法ごとの区切りではないので、定式ごとに勢いを止めてはならない。断勁を生じないよう老師は、注意を与えるが、断勁を生じるのは技法と技法をつなぐ定式だけでなく、過渡式の中でも陰陽の変化の部分など、色々なところで断勁を生じてしまう可能性がある。また、練習の際は套路の全体を断勁を生じさせないことも大切だが、逆に細部を分割して部分を練習することも忘れてはならない。
一般的に型(技法)の写真を撮るとき、定式を撮影し技法名として紹介する。定式はすでに「勢」の完了した一瞬を指し、相手を倒した後の「残心」(※4)に近い状態である。それぞれの技法の極まった定式の状態が技法の中心ではなく、過渡式こそ技法の本質であり核心であることを忘れてはならない。
太極拳の套路の中には「勢」を表わす技法名が多くある。なぜ「勢」と表現するのかというと、例えば腹を打つとか蹴るといった外面的な形だけでなく、様々な要素を含んだエネルギーを意味しているからだ。螳螂拳(※5)の崩歩拳という套路に馬式左崩錘という技法名がある。北派螳螂拳をやっていなくても北派少林拳の素養のある人であれば、誰でも馬式という架式(立ち方)で左手による崩捶という打ち方だと類推できる。
もちろん太極拳の中にも馬歩左崩捶のような技法名は存在する。例えば、摟膝拗歩(※6)は、独立式(片足立ち)で膝を抱える摟の状態から変化して、拗歩(※7)で打つ技法である。過渡式を陰陽に分類すれば、前半勢(過渡式A)の摟膝は【陰】=蓄で、後半勢(過渡式B)の拗歩は【陽】=発となる。
太極拳に限らず古い歴史を持つ中国武術の各門派の技法には、動作を説明する技法名だけでなく、自然現象や道具または動物の名を用い「勢」を象徴的に表している。
例えば単鞭なら一本の鞭で打つ技法。雲手なら雲が湧き出るような手の用い方。白鶴亮翅であれば、白い鶴が羽根(翅)を広げるといったようにイメージを広げることができる。動物を象徴した技法名は、この他にも野馬分鬃・高探馬・金鶏独立・下歩跨虎などがある。これらは陳氏太極拳をはじめとして各派太極拳にも共通して受け継がれている技法名である。楊氏太極拳において陳氏から改名されたり、新たに命名された例として攬雀尾・抱虎帰山・倒輦猴・白蛇吐信・弯弓射虎などがある。上記の技法名に出てくる虎(寅)・蛇(巳)・馬(午)・猿(申~猿猴)・鳥(酉)などの動物のほとんどは、十二支の干支(えと)に関係しているので皆さんにも名前だけは馴染みのある動物かもしれない。古より物語の故事や漢字の中で想像を巡らせたり、身近な動物の動きや生態を実際に観察した。武術の先人たちは、人間を超えた鳥など動物の俊敏な速さや馬や虎の力強さの能力、蛇などに代表されるような密かに宿る霊力のエネルギー(勢)を技法を通して獲得しようとしたに違いない。
【註釈】
※1 Vol.7太極拳と易(中編) 断勁についても参照されたい。
※2 十三勢 十三勢とは、「八門五歩」という八つの手法と五つの歩法を合計した十三の基本動作からきている。
「八門」 (四正手)掤・捋・擠・按 (四隅手)採・挒・肘・靠
「五歩」 前進・後退・左顧・右盼・中定
※3 大宇宙とは、洋の東西を問わず秩序づけられ完結した世界観で人間の小宇宙に対応している。
※4 残心とは、心残りや未練ではなく、日本武道や芸事において一つの動作を終えたあとでも意識が途切れることなく、油断しない事をいう。
※5 螳螂拳(とうろうけん) 螳螂とは、昆虫のカマキリ。蟷螂手という独特の手型(しゅけい)が特徴で揪腿という足払いの技法も傑出している。揪腿は、単なる足払いではなく、一撃で行動不能となる威力を秘めている。明末清初に創出された比較的新興の門派でありながら山東省を中心に隆盛を誇った。北派と南派それぞれ別の門派として存在する。
※6 摟膝拗歩(ろうしつようほ)の蓄勢の写真として陳氏太極拳の老架式(老小架)では、独立式で膝を抱えている。 Vol.1 良師との出会い を参照。
実際の所、独立式で膝を抱える「摟」(搂)となっているのは、陳氏の老架式のみである。同じ陳氏の新架式・趙堡架式だけでなく楊氏をはじめとする各派太極拳では、独立式とはなっていない。別の意図で「摟膝」の名を残していると思われる。(摟の漢字は、手偏であって木偏ではない)摟膝拗歩の定式は、本ブログのご挨拶の一枚の写真(前堂拗歩)の左右反対動作に近い。
※7 拗歩(ようほ)、漢字の由来としては、執拗のように「しつこい」だったり、まっすぐではない~ねじる・ねじけるの意であるが、武術としては順歩に対して拗歩として用いる。摟膝拗歩の場合は右手と左足が前で手と足が互い違いになっている。
【写真解説】
陳氏太極拳・老小架の単鞭(たんべん)。写真三枚は単鞭の後半勢。過渡式の図の説明を利用すれば過渡式B、過渡式Aを蓄勁あるいは蓄勢ともいうが、蓄勢の終わった瞬間から定式に至るまでの三枚。
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