Vol.32 外三合 過渡勢と定式 (中編)

前回、勁の運用とは形と勢が重要であるとお話しした。形勢不利や形勢逆転というように形と勢は密接な関係がある。日本人にとっては戦国武将・武田信玄の軍旗「風林火山」でも知られている中国古代の兵法書『孫子』(※)でも形と勢を重要視している。
孫子は、十三篇から構成されており形と勢は、形篇・勢篇で取り上げられている。

過渡勢に関係が深い勢篇の以下の一節に注目したい。

激水之疾、至於漂石者、勢也、
鷙鳥之疾、至於毀折者、節也、
是故善戰者、其勢險、其節短、
勢如彍弩、節如發機

『激水の疾くして、石を漂わすに至る者は勢なり。
鷙鳥の撃ちて毀折に至る者は、節なり。
是の故に善く戦う者は、其の勢は険にして、其の節は短なり。
勢は弩を張るが如く、節は機を発するが如し。』

今回は前半の句である「勢」に注目し、次回後編では後半の「節」に焦点をあてよう。

激流の速さと岩石までも漂わせる(押し流す)ほどの力を持つのが勢(いきおい・せい)である。

普段は、静かに流れている河川も豪雨で激しい流れとなる。流木により堰き止められ、これが崩壊し一気に流れる時、堰き止められていた水が土石流のように一気に流れる。この時の水量(質量)と流速(水流の速さ)が相乗して勢(いきおい)を形成する。
私も子供の頃に台風の通り過ぎた後、いつもはおだやかで清らかな故郷の川の流れが一変したのを見た。茶色く轟々と流れる濁流の音、子供の背丈ほどもあろうかと思われる大きな岩石までもゴロンゴロンと音を立てて、ぶつかりながら流れてゆく様子を忘れる事ができない。

趙堡架 単鞭⇒第二金剛搗碓_01
趙堡架 単鞭から第二金剛搗碓の過渡勢_01
趙堡架 単鞭⇒第二金剛搗碓_02
趙堡架 単鞭から第二金剛搗碓の過渡勢_02

孫子は、兵法の観点から激流の水を「勢」であると観た。私は、太極拳の観点から渦(うず潮や竜巻)を「勢」のイメージの一つとしている。

うず潮や竜巻の激しく回転する中心部とは対照的に周辺はおだやかで静かな印象だ。太極拳の使い手の持つ円圏(制空圏)の内側に入って行くことは難しく、とらえどころがない。ところが一定の円圏の中に入り一たび巻き込まれてしまうと、なす術(すべ)もなく翻弄されてしまう。

太極拳の古い名称である十三勢は、手法の八門と歩法の五歩からなっている。これを組み合わせたとき、相手は技法に含まれる様々な「勢」が持つ渦と波に翻弄され体が浮き、足がすくわれ態勢が崩される。大小の波やうねりで、もみくちゃにされたり、タイミングがはずされる。もがいても もがいても目が回るような状態になると心理的にも不安な状態で倒される。このように太極拳の得意とする「勢」とは、大小の波や渦巻や竜巻によって相手を翻弄することである。
少林拳で用いる「勢」の中には、「流星脆弾」の訣語が表すように圧倒的な速度と量(手数)の攻撃を得意とする門派も存在する。もちろん太極拳にも少林拳のように瞬間的に発動して短時間に決着をつける「勢」があることはいうまでもない。

太極拳の套路では、十三勢の八門五法を含んだ技法が 64・73・108の「勢」として集まっている。さらに一つ一つの技法は、複数の用法が含まれた「勢」なので一見して想像できる用法は、表面的なものにすぎない。套路の技法は一つ一つの用法を並べたのではなく、「勢」をつなげて構成されている。用法は、門派の基本原理を具現化したもので型(套路)通りの動作とは限らない。習っている最中の修行者にとっては、型(套路)とは違った動きを示されると混乱してしまう。なぜこの型からこの用法が導き出されたのか?あるいは、なぜこの用法がこの型に分類され、単鞭や白鶴亮翅などと命名されたのか?これら用法の数々をパターンのバリエーションとか単なる応用とみては「勢」の理解には辿りつかないだろう。
初心者の段階では、習った用法が実際に使えるようになるのかという課題から出発する。次第に慣れてくると套路のそれぞれの技法の中に練習した用法の経験値を帰納し、反映してゆく。長い間にそれぞれの技法は、「こうあるべき」という境地になってゆく。弟子の套路の演武を老師から見れば工夫の足跡や上達度は一見してわかるが、第三者がみても単に上達したのだろうと推測するくらいだ。本来、套路とは鑑賞目的で他者に見せるのが目的ではなく、門派独自の勢や勁道そして基本原理を理解するための自己研鑽の教科書なのである。修行者本人にとっては、ひとつひとつの技法や套路の修練は「手(掌)にはいる」、つまり習熟しマスターしていく過程なのだ。

趙堡架 単鞭⇒第二金剛搗碓_03
趙堡架 単鞭から第二金剛搗碓の過渡勢_03
趙堡架 第二金剛搗碓
趙堡架 第二金剛搗碓の定式

陳氏太極拳では、套路を演武するうえで剛柔・快慢・鬆発・緩急・蓄発の陰陽を明確に表現している。しかし、太極拳の流派の多くは、套路の中では一貫して柔らかくゆっくりとした動作で套路を演武する傾向にあり、「柔らかくゆっくり」した動作こそが太極拳を表わす代名詞のようになっていった。難易度の高い動作や跳躍技も次第に套路から排除されている。これらは表演の際、外部には秘蔵して見せなくしたり、健康法への指向が高まり老若男女に無理なく練習できるよう改変したりとさまざまな原因が考えられる。しかし、太極・陰陽の原理や大宇宙の現象を反映するのが太極拳の勢(套路)だとすれば、「柔らかくゆっくり」した動作以外にも太極拳の理があるといえるだろう。

【注釈】

『孫子』とは中国・春秋時代末期(紀元前480年頃、2500年前)呉国の闔閭(こうりょ・闔廬とも表記)に仕えた孫武が書いたと言われる兵法書。『孫子』は、『計篇・作戦篇・謀攻篇・形篇・勢篇・虚実篇・軍争篇・九変篇・行軍篇・地形篇・九地篇・火攻篇・用間篇』という簡潔な文体からなる十三篇によって構成されている。

兵法には伝統的に『孫子』十三篇に対応して権謀学派・形勢学派・陰陽学派・技巧学派の四学派がある。

漢初から戦国期の兵法書が整理され,前漢末の任宏(じんこう)は、「芸文志」において漢の太宗とのやりとりの設定で四学派を記している。以下の短い文章は太極拳の戦術として重要な「後発制人」や「勢」を理解する上で示唆的なので紹介したい。

形勢学派は、風や稲妻のように動き、敵に遅れて出発しながら敵よりも先に到着し、兵力の分散と集中の仕方、同盟国の地と敵地における戦い方、常に形を変化させるやり方、そして敵をスピードと機動性によって制圧する方法などをよく理解すべきと強調している。
「勢」のキーワード~「風や稲妻、分散と集中、形を変化、スピードと機動性」

参考文献『真説 孫子』 著者 デレク・ユアン 中央公論新社

【写真解説】

陳氏太極拳趙堡架式の金剛搗碓。趙堡架式は老架・新架・趙堡架の中において、高架(姿勢が高い)で最も俊敏な動作が特徴である。金剛搗碓は、陳氏太極拳の看板技とも言われ、この一勢の中に十三勢の太極陰陽の理が全て含まれている。写真は、単鞭からの第二金剛搗碓。

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました
inserted by FC2 system