前回の閑話に引き続き、番外編として「三」を掘り下げてみたい。
外三合のシリーズが、Vol.19から始まった。Vol.34では三歩の工夫が登場し、続いて三節(三幹九節)・三尖相照というように数字の「三」が随所に出てきた。
中国では「三」に限らず符牒として数字にさまざまな意味を与えてきた。
三才以外にも五行・八卦など数字を通した物事のとらえ方や世界観は、中国医学・芸術・文学・占星術だけでなく生活のすみずみまで影響を見ることができる。中国武術も例外ではない。
符牒
0:無極
1:一気
2:両義
3:三才
4:四象
5:五行
6:六合
7:七星
8:八卦
9:九星
10:十韋
ここでは、0(無極)から一(一氣)、二(両儀)、三(三才)という0~3まで、特に「三」に焦点をあててみよう。
【0 ゼロ 無極にして太極】
紀元前2世紀の『淮南子』(えなんじ)』(天文訓)によると
原初の宇宙は天地が未分化の状態にあり、混沌たるものが漂い、とらえどころがない状態であった。もやもやとしていて混沌としたカオスの状態は、時間も空間もない。これを無極(太始)といい、やがて宇宙が生まれた。宇とは時間、宙は空間を表わしている。
荘子は、宇宙の根本原理を「道」といった。あるいは「元始」「渾元(混元)(こんげん)」「太始」「太一(たいいつ)」「太乙(たいおつ)」あるいは「無極」とさまざまな名前で呼ばれた。
【1 一氣】(一気)
混沌とした状態に一条の光あるいはビックバンのような大きなエネルギーによって揺り動かされた力。「渾元の一氣」(一を付加せず、単に渾元の気とも)といい、站椿にも「渾元粧」があり渾元の一氣を生じる練功法とされる。渾元とは、一般的には、太古の野生の力と呼ばれる。日本語で「元気」の語源は、元々は「減気(げんき)」と書いていたとされる。 その頃の「減気」の意味は、「病んでいる気」=「悪い気」を減らすこととある。しかし、元気の本来の意味は、「もと(元)」の「気」と書くように、中国の宇宙生成論で万物の根本となる気のことを指しているのだから「渾元の一気」が語源で、略して「元気」になったとみる方がふさわしいと私は考えている。
【2 両儀】天と地、陰と陽に分かれる
混沌とした無極の状態より、一氣のエネルギーにより変化が生じる。
次第に混ざり物のない軽くてあきらかなものが上に集まり第一に天となった。次に重く濁ったものは下に集まり固まって「地」となった。
万物の根源である太極から陰陽または天地に分かれた。無極は静的状態で太極は動的状態とされる。
無極(0)から一氣の力によって天地が生まれた。天を重視する考え方は荀子に色濃く見られる。
【3 三才】天と地から人が産まれる 天人合一
“人は天と地の産物”
古来より農耕を中心とした中国は、天より燦燦と降り注ぐ日の恵みを受け大地の滋養供給を受けて豊かな農作物を産み出し、人が産まれた。豊かな食糧が人の生活の営みの基礎となった。こうして天と地が人を養う思想が天地人の三才思想・三才観である。
「人」は大自然の支配者ではなく、大自然の中で生かされている弱い存在にしかすぎないという意識が芽生えたのかもしれない。
「三才」とは天地人の働きのことで、易経の中で説卦傳・繋辭下傳に「三才」と同じ意味で別の表現として「三材」「三極」「三元」「三儀」がある。
「三極」(二極に対して三極)
「三元」(二元に対して三元)
「三儀」(両儀に対して三儀)
“天人合一”
三才は、諸子百家(※)それぞれで重視し、見方も異なっている。
老子(道家)の思想では、天の陽気と地の陰気とが調和することによって、人の気が生成されると考えた。人(人間・小宇宙)の形と機能とが、天(自然界・大宇宙)と 相応していると見ている。これを天人合一思想という。
~形意拳の三才式(開門式)~
各門派には門派独特の開門式がある。套路を演武するときの始まりの部分で起勢あるいは起式ともいう。起勢の「勢」は勢い、あるいはエネルギーの流れで起式の「式」とは形あるいは器と理解すればよいだろう。
(開門式・起勢について当ブログ Vol.31 過渡式と定式を参照)
形意拳の開門式を三才式または三体式(旧字体・三體式)という。
開門式全体を三才式ということもあれば、最後の定式を三才式と称したり、架式(立ち方)を三才式ということもある。開門式・定式・架式の名前が同じだと区別が難しい。
孫禄堂の著作『形意拳学』で以下のように説明している。
「形意拳の万法は皆三才式より出る、この式は入門の道であり、形意拳中の総機関である」
形意拳の套路は、開門式として「三才式から套路(型)の演武(練習)を始める」形式だけが重要なのではない。また、開門式(三才式・三体式)の構成は、無極から太極そして三才という宇宙論を背景にしているが、修行者が宇宙の生成を瞑想のように三才式を行っているわけではない。あくまで武術の技術の具体的な練習法である。
三才式が形意拳の「入門の道」であり「総機関」であるとする理由の一つは、外三合の「三節」を明らかにすることである。「三節」とは身・手・足で天・人・地にあてはめて三才となる。外三合としての「三節」を明確に意識付けするために開門式を用いている。
内三合(心・意・気)の面から観ると、三才式(開門式)は、日常と戦闘状態の境界線に位置付けられる。三才式は、起勢・出勢というように「勢の起こり」あるいは「勁道の起こり」で攻防の起点となっている。日常の心静かな状態から戦闘状態に切り替えるためのスイッチである。
前回、張占魁派形意拳の三体式(三才式)を紹介した。今回は、尚雲祥派形意拳の三才式を紹介する。張占魁・尚雲祥の両師は同じ時代に活躍し交流もあったが、両派の味道(雰囲気)の違いを比較してみていただきたい。
尚雲祥派形意拳・三才式の拳譜
無極勢 太極勢 含一気勢 両儀勢 三才勢
無極勢
立ち方は、張占魁派と共通で正面を向く。両手は虎口を丸くし両腿の横に垂らす。
太極勢
鼻から息を吐きつつ、両掌を肘を中心に捻りあげつつ再度息を吐き両肩まで引き上げる。
含一気勢
息を吸いつつ、両掌を封じるように腹まで下げ、さらに拳(空心拳)にて丹田まで押し下げる。
両儀勢
両拳を空心拳として前方に持ち上げる。空心拳とは卵を包み持つような拳の握り方
三才勢
両拳を翻し、掌として三才勢の定式となる。この立ち方を三才式という。
【注釈】
※ 諸子百家の三才思想
中国の世界観を理解するためには三才思想に触れておかねばならない。
儒家において孔子は「天に理、地の利、人の和」(天に真理あり、地に法則があり、人に調和あり)と説き、孟子も「天の時、人の和、地の利」と天人合一思想を説いた。荀子の「天人の分」などの説が登場するが、「天・地・人の三者は、それぞれ完結した世界を形成しながら,相対応して同一の原理に支配されている」という根本思想は受け継がれて行く。
三才の成語が現れるのは『易経』「繋辭下傳」「説卦傳」の中で、三才と併せて同じ意味の「三材」や「三極」も見られる。
墨家の三才思想 上天・上帝信仰により天下は全て上天の所有物であることが述べられている。
道家は三才思想の前に道が存在していたとするのが特徴である。
日本では二宮尊徳(二宮金次郎)による『三才報徳金毛録』が三才思想を結実させた。
薪を背負い歩きながら読書をする銅像を小学校でみたことのある方も多いだろう。
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