老子は「一から二そして三」が生まれ、「三」から万物が生じるといい、八卦では初爻二爻三爻と三層に積み重ねられた「八」から大宇宙の万物が展開される。
前回、細胞分裂を例に「1」が2→4→8と分裂する図(※1)を紹介した。細胞はさらに分裂を続け、人間では約60兆個(約37兆個とも)に細胞分裂し各臓器や骨、筋肉などに変化し、一個体としての生物に成長する。それぞれの細胞は機能を持ち、細胞から組織、臓器、個体という階層的な細胞社会の機能が維持され生命体となっている。中国古代の先人達は、一つの生命に小宇宙を観た。
地球上の生命がお互いに戦って勢力を競っているように見えて、実は相互干渉しながらも地球としての生命体を形成しているのかもしれない。(※2)
中国古代伝説上の帝王・伏羲(ふぎ・ふっき)が森羅万象を象(かたど)って八卦(はっけ・はっか)を創造した。
八卦は万物を象徴しているがより錯雑した変化の世界を表現するため、伏羲は八卦を更に上下に二つ重ねて六十四卦(ろくじゅうしけ、ろくじゅうしか)とした。六十四卦は、三層の八卦を上下に重ねて六層としたもので、八卦の組み合わせで8×8=64で六十四卦とした。横の八卦と縦の八卦の組み合わせが、内側の方図(図参照)である。
またこの配列は同じ図の外側の円環図に配された。地図は北を上にするのが一般的だが、坤を子の方向(北、下)に、乾を午の方向(南・上)にして円環状に配置することで方位を表した。南宋の朱熹(※)は内側の方図と外側の円環図を「伏羲六十四卦方位図」と呼んでいる。
(乾から復までを上(南)から左まわりに下(北)まで配し、姤から坤までは上から右まわりに下まで配している。)
南宋の朱熹は「1→2→4→8→16→32→64」というように1を原数とし、1に1を加えて2とし、2に2を加えて4とし、4に4を加えて8とするというような「加一倍法」(か‐いちばいほう)を繋辞上伝の「太極→両儀→四象→八卦」と結びつけて、陰陽二爻の積み重ねによって卦が生成されると解釈した。
六十四卦は八卦と八卦の組み合わせで六十四通りある。下にある八卦は、内卦あるいはそのまま下卦と呼ばれ、上にある八卦は、外卦あるいは上卦と呼ばれる。
屯卦(図の第34)は䷂(震下坎上=☳の上に☵)、否卦(図の第7)は䷋(坤下乾上=☷の上に☰)(※4)となる。
1703年、ドイツの数学者ライプニッツはイエズス会宣教師ブーヴェから朱熹の「伏羲六十四卦方位図」を送られ、自身の考える二進法の構想が易の六十四卦の配列と似ていることに大いに感動したといわれる。二進法は、古代中国のみならずエジプトやインドでも用いられたが、今日のコンピュータの発展の基礎になっていることを連想される方も多いだろう。
一般的には、六十四卦について上記のように上三爻と下三爻に分けて重卦(二つの重なった八卦)となり、六層となった爻であるとか、八卦と八卦の組み合わせで8×8= 64通りで六十四卦と説明されることが多いが、ここでは1→2→4→8のように三回変化し八卦が生まれ、八卦はさらに8→16→32→64と三回変化し六十四卦となる。細胞分裂のような生成発展の考え方を重視したい。
こうして出来上がった大宇宙も元は「0」(ゼロ)=無極から生まれた「一」すなわち太極=太一・大一・泰一(1・いち)から発展したものである。
■ 一刀は万刀に化し万刀は一刀に帰す
日本の古武術で後の現代剣道にも大きな影響を与えたとされるのが一刀流である。戦国時代末期から江戸時代に生きた開祖の伊藤一刀斎(1550年~1653年※生没は諸説あり)は流派の命名について、自身の名前が由来ではなく易の太極思想が元であると伝書に記している。
「萬物大極の一より始り、一刀より萬化して一刀に治まり」
「一刀即万刀、万刀即一刀」(意訳:一刀は万刀に化し万刀は一刀に帰す)あるいは、
「一に始まり、一に帰す」ともいう。
江戸時代末期から明治時代にかけて生きた山岡鉄舟は
山岡は一刀流の原点である伊藤一刀斎の流儀を「一刀即万刀、万刀即一刀」を含め、そのまま継承するという意を込め、自己の開いた無刀流に「一刀正傳」の四文字を冠した。
「一刀即万刀、万刀即一刀」の中にも「三」の構造を観ることができる。中国武術では
「招式→着法→招法」という修行階梯が同じ構造となっている。「招式」とは外面的な形式で、「着法」とは身法・手法・歩法の手段を熟練することにより「招法」つまり真の法(真法)に至るとされる。
第一段階 第二段階 第三段階
「一」 → 「万」 → 「一」
「招式」→ 「着法」→ 「招法」
「招式→着法→招法」は套路に付随する用法や原理(口訣)を示している。招式と招法は中国武術における型や技法の動作、「式」が外見上の形式で「法」とは普遍的な原理や掟。
簡単にいえば初級よりも中級、中級よりも高級な技法が優れているのは道理であるが、高級な技法を破るには初級技法の応用程度で十分な場合が多いのも事実である。初級→中級→高級といえるが、入り口からスタートしたがいつのまにかスタート地点に戻ってしまうようなものだ。この場合重要なのは、あちこちのコースを回り再びもとの場所に戻るまでに得た知識や経験こそが隠された真の目的なのである。(※5)先人たちは「一刀は万刀に化し万刀は一刀に帰す」のキーワードに修行体系を組み込んで、知識と経験の会得を体系づけている。現代の私達には「原点回帰」あるいは「昇華」のキーワードがわかりやすいだろう。
■ 千招を知るを怖れず、 一招に熟するを怖れよ
中国武術の千変万化の技法を学んだ後に最終的に修行者が一つの技法に集約された技法を「絶招」「絶技」と呼ばれる。日本語では俗に「必殺技」というが、誰にも真似ができない本人のみの「得意技」である。「千招を知るを怖れず、 一招に熟するを怖れよ」(不怕千招会,就怕一招精)多くの技を知る者をおそれず、一つの技に熟練したものをおそれよ)
「多くの技を身に付けている者は恐れるに足りない。本当に怖いのは、一つの熟練された技を持つ者である」「一招に熟した者」は最初から「一招」だけしか知らなかったのではない。下記に述べる「絶招」で有名になった先人達は最初から「一招」しか知らなかったわけではない。千招を知り千招に熟達したからこそ一招つまり絶招を導きだし、高度な境地に到達したのである。
「一招」とは囲碁や将棋でいう所の「一手」であり、「絶招」は「渾身の一手」だといえる。
中国武術を修行している者ならば誰しも形意門・郭雲深(1820~1901)の「半歩崩拳、あまねく天下を打つ(半歩崩拳打天下)」や八極門・李書文(1864~1934)「李書文に二の打ち要らず(神槍无二打)」の故事は誰しも知る所であろう。しかしながら現代の私達は誰も彼ら先師達の絶技を実際に見分した者はいない。同門の弟子を通じて現代に伝承されているが、それでも故事があまりに有名なため、実際の絶技とはかけ離れた想像上の技が流布されている現実もある。
【註釈】
※1 中3生物【有性生殖】より細胞分裂の図をご厚意により提供いただいた。
https://chuugakurika.com/2018/02/08/post-1725/
※2 『なぜ私たちは存在するのか ウイルスがつなぐ生物の世界』
(PHP新書) – 2023/3/25 宮沢 孝幸 (著)
※3 南宋の朱熹(1130~1200)、朱熹(しゅき)が名前で、一般には尊称である朱子が知られている。南宋の儒学者で、宋学を大成した人物。儒学を軸とした中国思想を一つの体系「朱子学」としてまとめ、理気二元論・性即理・格物致知・大義名分論などの思想は後代の中国のみならず、朝鮮・日本の思想にも大きな影響を与えた。
※4 半知録 -中国思想に関することがらを発信するブログ-
https://hirodaichutetu.hatenablog.com/entry/2019/12/07/123009
広島大学中国哲学研究室の有志で運営しているブログ
~八卦と六十四卦の成りたち~
※5 『随意閑談』呉伯焔著 私家版 呉伯焔談話集より抜粋
「中国武学への道」の記事一覧はこちら
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