中国武術の歴史は長く、民族も多様な中で独特な発展を遂げた。技術的にも私達日本人とは異なる文化の中で育まれた興味深いものが多く、高度な体系を持っている。武術における技法の原理を学ぶことは興味深く楽しく感じられることも多い。原理を解き明かすことや究極の技術を楽しむことは、修行者の特権ともいえる。
しかし、武術を志す者の最も大切にすべきことは実践することで、現実に即した対応であることを忘れてはならない。興味を引く技術や楽しみに安住して、実践するための具体的技術から現実逃避しないよう心がけることが大切である。
とはいえ時にはさまざまな事に目を向ける意味で、今回は脱線してみたい。気の向くまま私の個人的な興味の赴くままをみているが、それでも根底にある中国武術を志す者としての視点は、離れようとしても離れることはできないだろう。
外三合から始まるテーマには数字の「三」が随所にでてくる。中国武術において「三」は本ブログで紹介した三幹九節の三幹や三尖相照以外にも「三才」という重要な世界観がある。
「三」を重視する考え方は中国だけではない。
日本では天皇家に代々受け継がれてきた三種の神器に代表され、西洋のキリスト教では三位一体,キリストの生誕を祝福する東方の三博士(三賢人)の参拝などにみられるように聖なる数とされる。
私たちの住んでいる世界においても二点間であれば線であるが、もう一点加わることにより面となる。三次元世界もまた、縦・横・高さという3つの座標で表される広がりから成り立っている。「過去・現在・未来」「朝・昼・晩」「三段論法」といった時間系列、「上・中・下」「金・銀・銅」「松・竹・梅」のような階層や「赤・緑・青(三原色)」「司法・行政・立法(三権分立)」「魂・精神・肉(三位一体)」のような安定、分割と包括など根本原理をこの世には「3つ」で表されている表現が多く見られる。
一方で複雑な関係を表現する「三つ巴」や「三角関係」という言葉もある。
中国武術からすこし離れたところから始めて「三」を考察し、再び中国武術に含まれる「三」の世界を数回にわたって探訪してみたい。
まずは、私の住まいである広島と日本古武術の剣術、そして中国武術の周辺の観点から「三」にまつわる閑話を三つ紹介しよう。
【閑話】その一 ~広島にまつわる「三」
全てが史実であるとは言いがたいが、広島には「三本の矢の教え」の故事がある。
日本各地で群雄が割拠し、天下統一を目指した戦国武将の毛利元就(1497~1571)が晩年、病床に伏していたある日、隆元・元春・隆景の三人を枕許に呼び寄せた。元就は、まず一本の矢を取って折って見せた。続いて矢を三本束ねて折ろうとするが、これは折る事ができなかった。そして元就は、「一本なら簡単に折れてしまうが、三本束ねれば簡単には折ることはできない。三本の矢のように三人が力を合わせれば毛利は安泰なのだ」と一家の結束を誓わせた。
サッカー・J1のサンフレッチェ広島のチーム名は、日本語の「3」とイタリア語の「フレッチェ(矢)」に由来する。元就にあやかり、一致団結して勝利を目指している。今年は新スタジアム「エディオンピースウイング広島」が開業している。
兄弟の結束を三本の矢に例えた故事であるが、束ねることで力の集中を得ることができる。前回、Vol.37 の三尖相照(後編)で勁のエネルギーを光の束を集めるような口訣として形意拳の「束展」を紹介した。「束ねる」と「突き刺す」両方を意味する口訣として槍術に「扎」がある。槍術の基本原理は攔拿扎(らん・な・さつ)で形意拳や太極拳をはじめとする門派は、兵器法としての槍の原理を重視している。陳氏太極拳では套路の最初辺りに懶扎衣(らんざつい)が見られるのは、槍術の原理が徒手空拳(素手)の技術へ影響を与えた一例と観る。
「扎」の漢字は扌~手偏(てへん)であって札束の「札」(木~木偏・きへん)ではない。
(「三本の矢の教え」についてウィキペディア(Wikipedia)等を参照)
【閑話】その二 ~日本古武術にまつわる「三」
「三角矩」(さんかくく)
江戸末期の幕臣で剣豪そして禅・書の達人としても知られている山岡鉄舟が三角矩の原理を提唱した。三角矩とは、眼・腹(丹田)・剣頭(剣尖)の三点を一致させることで、打突を強める事ができる。
三角矩は三尖相照と同じように三角形のもつ「形の力」であり、攻撃は縦の三角形、防御は横の三角形と説明している。前回(Vol.37)の図1~3の三角形は横の三角形といえる。
この時の剣先は相手の左眼であるとする教えもある。中国武術においても上段の顔面に対する突きを槍眼捶というが、「眼」に注目している共通点が興味深い。
「三学圓の太刀」
柳生新陰流の八勢法の最初に「合撃打ち」(がっしうち)がある。また、勢法の中心である「三学圓の太刀」の第一本に「一刀両段」がある。「一刀両段」の最初は打太刀(仕掛け)が巻太刀にて袈裟に斬りかかるのに対し、仕太刀(受け手)は打太刀の巻太刀の刀を止めている。伝承によって止め方や捌き方の変化はいろいろであるが「合撃打ち」の術理を用いていることは共通であると教授を受けた。
「三学圓の太刀」の三学とは仏教の「戒定慧の三学」を由来としている。戒定慧とは戒律による心身の調整、禅定とは止観による瞑想法で集中状態を三昧あるいは三摩地(サマーディの音訳)、智慧とは瞑想によって得た智慧(般若)により悟りの涅槃(ニルバーナ)に至るという仏教の根幹となる修行階梯のこと。新陰流および柳生新陰流の「三学圓の太刀」を構成する「一刀両段」「斬釘截鉄」「半開半向」「右旋左転」「長短一味」といった勢法(技法)の名称に仏教用語の影響があるとされる。
【閑話】その三 ~中国にまつわる「三」
三才思想は陰陽思想と共に中国古代の諸子百家をはじめとしてあらゆる学問・思想における根底の思想や観念となった。学問や思想だけではない。華道などをはじめとする芸術や東洋医学(中医学)などのあらゆる方面の実学に影響を及ぼしている。
大宇宙に対応している小宇宙としての存在が、人間であるというのが天人合一思想である。人間は心身ともに自然と一体であり、人(人間・小宇宙)の形と機能とが、天(自然界・大宇宙)と 相応していると考える。
混沌とした宇宙から天が生まれ次に地ができた。天(陽)と地(陰)と和合し人が生まれたことから天→地→人の順番で「天地人」の三才とされている。
中国では、宇宙に存在する万物を表わす「三才」が大百科事典の書名となっている。明末の時代に王圻(おうき)が編纂した『三才図会』一百六巻。日本でも中国の『三才図会』にならって江戸中期、大坂の医師寺島良安によって『和漢三才図会』105巻81冊が編纂された。(江戸時代中期には「大坂」と「大阪」が併用)
天地人の働き(才)を表わす三才は武術においても重要な位置を占めている。三才を含む用語には、歩法:三才歩、兵器法:三才剣。形意拳という門派の開門式:三才式または三体式(旧字体・三體式)などがある。今回は「張占魁派形意拳」の三体式の連続写真、次回「尚雲祥派」の三体式を紹介し比較していただきたい。
【写真解説】
張占魁派形意拳三体式 写真説明
無極式 含一気式 太極式 両儀式 三体式
無極式
両足を揃え両足の踵をつけて足尖は八の字に広げ、膝を少しゆるめて立つ。
両掌を水平に両手の指先を合わせる。
含一気式
無極式では前方を向いているが、含一気式では身体の向きを斜め45度位に転じ
体を少し沈めつつ、両手を小さく回し下に押し下げる。
同時に息をハーァッと口から強く吐き切る。
太極式
息を鼻から吸いつつ、両掌を開いて頭の上まで挙げる。
次に息を鼻から吐きつつ、両掌を把子拳に変え右腰に下げる。両拳の手の甲を平行とする。把子拳とは掌中に卵を抱くような拳。
両儀式
右拳を眼の高さで前に差し出し、左拳は右肘にそえている。
三体式
両拳を開き掌にかえつつ体ごと左右に開いて定式となる。
※Youtubeにて動画を公開しましたので、gif動画から差し替えました。2024/04/16
コメント
桂先生、毎回わかり易くも深く充実した内容で、まさに武学の感のあるブログとなっており、楽しみに学ばせてもらっております。
ただスマートフォンのみの現象なのかも知れませんが、各回の記事を順に閲覧しようとしますと、目次にあたるページが無い為、非常に難しい現状となっていまして、そこはどうかご改善くださいませんでしょうか。
西坂様 コメントありがとうございます。
ご指摘の改善点については、ブログの保守担当者と話して対応したいと思っています。
時間がかかるかもしれませんので、それまではご不便をおかけしますが、よろしくお願いいたします。